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中論・6―1頌 興奮と感受されたもの

第一頌 興奮と感受されたもの

西嶋先生の訳
(現実が)興奮という抽象概念を離れて存在する以前から、感受されたものが興奮という抽象概念を無視して存在している。

その感受されたものが興奮そのものとしてはっきりと存在し、興奮が感受されたものの中に実在として存在することが可能である。




中論を勉強しています
現実において興奮という抽象概念を起こす以前に、感受されたものが興奮という抽象概念の存在を無視してすでに存在している。

感受されたものが興奮という抽象概念そのものとして存在する可能性があるし、興奮という抽象概念が感受されたものと一体となって存在することが可能である。

坐禅をしました
現実において興奮という抽象概念が起きる以前において、感受されたものは興奮という抽象概念とは無関係にすでに存在している。

感受されたものがあるからこそ興奮という抽象概念が存在するのであるし、感受されたものと興奮という抽象概念が一体となって実在することは可能である。

※存在する以前=頭で存在を考える以前
※感受されたものがあるからこそ興奮という抽象概念が生まれるが、たとえ絶えることなく感受されたものが存在したとしても興奮という抽象概念が生まれなければ存在に気が付く事がないわけだから実在していないことになってしまう。感受されたものと興奮という抽象概念が一体となってはじめて存在が実在していることになる。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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