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中論・第六章 興奮と感受されたものとの融合に関する検証

第六章 興奮と感受されたものとの融合に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です。

われわれが眼で物事を見たり耳で音を聞いたりすることも、われわれの感覚器官が外界の刺激を受け入れることであるから、感覚器官における一種の興奮状態であるといえる。そしてそのような興奮状態の現象に対しても、交感神経の働きが強い人は現実の興奮を興奮という抽象概念で捉えるけれども、逆に副交感神経の働きが強い人は感受されたものという客観的な物理現象として捉える。しかし自律神経のバランスした中道の立場で問題を考えるならば、現実の事態は単に興奮という抽象概念でもなければ、感受されたものという言葉で表わされている物理現象でもない。それは興奮という抽象概念と感受されたものという物理現象とが一つに重なった処に成立する綜合的な現実であり、本章の表題の中に使われているRAGARAKTAという言葉も、興奮を意味するRAGAという概念と感受されたものを意味するRAKTAという状態とが、不可分に結び付いた現実の事態を直接指し示す言葉である。事実、本章において説かれている主旨は、興奮に関する哲学的な解明に関しても、現実の世界における実体が、むしろ興奮と感受されたものとの融合によってのみ表現することのできる現実そのものであることを説いている。

抽象概念 : 興奮
具体概念 : 感受されたもの
現実概念 : 感受




外界からの刺激を感受することは、感覚器官における一種の興奮状態といえる。現実の刺激を交感神経が強い場合は興奮という抽象概念で捉え、副交感神経が強い場合は感受されたものという客観的な物理現象として捉えている。しかし坐禅などで自律神経のバランスが平衡の場合には、現実の刺激を興奮という抽象概念と感受されたものという物理現象とのどちらにも偏ることがなく一つに重なり融合した総合的に捉えることになる。

坐禅をしました
興奮という抽象概念と感受されたものという客観的物理現象は現実そのものではないが、現実を説明するには手段として興奮と感受されたものでしか説明できない。

※この世の一切は現在の瞬間における実情である。だから外界からの刺激による興奮や感受されたものは現在の瞬間における単純な事実に過ぎない。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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