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中論・5-8頌 現実と実在

第八頌 現実と実在

西嶋先生の訳
現実がさまざまのものとして正にみえているにも拘らず、それらの(実在を否定する)愚かな人々は決して現実的ではない。

それらの人々はさまざまの存在の中に、静かな恵み深いものを見ることをしない。




中論を勉強しています
現実が我々の目の前にさまざまな容姿や現象としてはっきりと見えているにもかかわらず、現実を認めないという人々は愚かな所業であり現実の中に生きてない人々である。

現実を認めないという人々は目の前のさまざまの事物の中に、静かな恵み深い何かが存在することに愚かにも気づくことがない。

坐禅をしました
現実が我々の目の前にさまざまな容姿や現象としてはっきりと見えているにもかかわらず、思い込みや習慣で現実を認めないということは愚かな人々の所業である、そしてそれらの人々は頭で考えたことが現実であると思い込んでいて現実の中に生きていない。

現実を認めないという人々は目の前のさまざまの事物の中に、調和のとれた恵み深い現実があるのに「この世というものは波乱に満ちたものである」と思い込んでいて現実を見ることをしない。

※「静かな」とは音がないという事ではなく、音があるのだが音がないと思えるほどこの世の中の全ての存在が調和をしているということ。



現実的な存在を理解するために頭脳を使い物質と精神とに分けて理解している。精神と呼ばれるものはこの世に実在すると思っている。それと同じように物質というものもこの世の中に実在するものと思っているが実際は精神と同じで頭で考えた産物であるので実在するとは言えない。だからと言って物質と呼ばれている現実的な存在はこの世の中にはないのかというと、この世の中に厳然と存在している。だから目の前の現実そのものをつかむことが坐禅であり我々の仏道修行である。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
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妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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