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中論・5-6頌 存在、不存在の議論の無価値

第六頌 存在、不存在の議論の無価値

西嶋先生の訳
存在するのかどうかさえはっきりしないような状況の中で、存在しないという主張が、将来といえども何処にあり得よう。

存在するとか存在しないとかという議論は、宇宙の秩序に反しており、存在するとか存在しないとかという議論が、何らかの役に立つなどということがどうしてあり得よう。




中論を勉強しています
事物が存在するのか存在しないかの答えが出てもいないのに、何の根拠もなく「そんなものは存在しない」という主張することは今でもそして将来でも成り立たない。

何の根拠もないのに存在するとか存在しないとかという議論をして答えを出そうとすることは、この世の中の秩序に反しており、そのような議論をすることが何らかの役に立つというような事はあり得ない。

坐禅をしました
この世の中の事物が存在するのか存在しないかの答えが出てもいないのに、頭で考える働きで「そんなものは存在しない」という主張することは今も将来もあり得ない。

何の根拠もないのに存在するとか存在しないとかという議論をしてその答えを出そうとすることは、言葉では説明できないことを言葉で答えを出そうとすることである。だからこの問題を議論することは何も生み出すことのない不毛の議論である。つまり人間がこの世の中の存在について、いくら議論してもこの世の中は不増不減の世界であり人間によって変わることはあり得ない。

※この問題は観念論や唯物論などの頭で考えてもわからない問題であり、むしろ瞬間的な直観的判断の問題である。
※宇宙の秩序=言葉では表現できないこの世の中の原則
※主観的に事物が存在する・存在しないという事と、現実に事物が存在する・存在しないという事とは決して同じ事ではない。
だから主観的に良い状態とか悪い状態とかと思っていても、現実にはその状態が良い状態なのか悪い状態なのかを決めつけることはできない。良い悪いと思ってみてもそれは主観的な思いが入り込む余地のない単純な事実に過ぎない。





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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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