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中論・4-5頌 本質的な転換の欠除

第五頌 本質的な転換の欠除

西嶋先生の訳
何の根拠も持たないものや外見が、この世の中に改めて姿を現すということは、決して決してあり得ない。

したがって、外見というものが意識の上に上って来ないことはあり得るし、現実の転換が転換そのものとして現実に実在するということもあり得ない。




中論を勉強しています
何の根拠も持たないものが、この世の中に現われてくることはあり得ない。そして本質を持たずに外見だけが、この世の中に現われてくることはあり得ない。

したがって、外見に気が付かないことはあり得たとしても、時間の経過によって生まれる転換が、転換そのものとして現実のこの世の中に実在する事はあり得ない。

坐禅をしました
実在していないものが、存在するものとしてこの世の中に姿を現すということは決してあり得ない。そして実在がないのに姿かたちである外見が、この世の中に姿を現すということは決して決してあり得ない。

したがって、移り変わる外見の変化に気が付かないことがあり得る。転換というものは移り変わる事実が現在の瞬間から次の瞬間に推移することであるのであるから、転換は時間の経過によって生まれた結果である。だから現実の転換が現在の瞬間の事実として実在するということもあり得ない。

※物質的なもの(実体)がないのに、外見だけが存在する事などあり得ない。物質的なもの(実体)があるのに、外見が存在しないなどということもあり得ない。実体というものは頭の働きでいくら本質や外見として存在すると信じてみてもそれは実体ではない、つまり空想である。反対に眼を閉じて実体は存在しないものといくら思ったとしても実体は厳然として眼の前に実在する、つまり現実である。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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