FC2ブログ

中論・4-3頌 不合理なものの不存在

第三頌 不合理なものの不存在

西嶋先生の訳
外見という考え方のために(外見と本質とが)別々に見える場合でも、恐らく(現実の世界では)外見と本質とは一つのものであろう。

およそこの世の中にはあり得ないような不合理なものが、本質として見える場合には、恐らくその不合理なものも本質も、実在ではないのであろう。




中論を勉強しています
外見だけに関心を持ったために外見と本質が別々のように見えたとしても、現実のこの世の中において外見と本質とはたった一つの実在であろう。

およそこの世の中において存在することがあり得ない不合理なものが、本質として存在するように見えたとしたならば、その存在していると思っている不合理なものも、そしてその不合理なものの本質も恐らく実在ではないであろう。

坐禅をしました
見た目にとらわれて見た目にしか関心がない時には、本質がある事を忘れ見た目だけを見てしまう場合がある。しかしいくら本質を忘れ見た目だけに関心を持ったとしても、現実において外見と本質とは一つに重なり離れることのない実在であろう。

およそこの世の中には理屈で説明できない不合理というものは絶対に存在しないのだが、もしも絶対に存在しない不合理なものが本質として存在している様に見えたならば、その存在していると思っている不合理なものそして本質のどちらもが恐らく実在ではないであろう。

※外見・本質は人間が頭で考えた事であり、外見・本質そのものは現実には存在しない
唯物論の立場からすれば、感覚的に捉えたものを外見と本質に分析したものを物質と呼んでそれが実在すると主張をする。しかしそれはあくまでも感覚的な刺激に対する人間の考えに過ぎず、頭で考えている物質というものが実在するかどうかは疑わしい。
それでは何も存在していないのかというと、そうではない。
人間が感受して外見と本質に分析して考える直前の言葉では表現できないありのままの実体が目の前に実在している。



コメント

コメントを残す

Secret


プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

最新記事