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中論・12-8 他人の行為の免責

第八頌 他人の行為の免責

西嶋先生の訳
自分のやった行為が苦しみの原因にはならないのと同じように、苦痛そのものが原因で苦痛が作られるということでもないのであるから、

他人が自分の意志でやったことでない場合には恐らく、苦しみが他人の行為によって起こったということは絶対的にあり得ないであろう。




中論を勉強しています
第六頌で「本来苦しみを伴わないことが行為の実行されたときの特徴である」と主張した様に自分のやった行為が苦しみの原因にはならないと同じ様に、苦痛そのものによって新たな苦痛が作られる事はない。

だから、仮に自分の意志で実行していないのに、もしも様々な苦しみが在るのであれば、その様な状況はどの様にして他人が実行したのであろう。

坐禅をしました
自分のやった行為は現在の瞬間における単純な事実であるから苦しみの原因ではない、それと同じ様に苦痛も現在の瞬間における単純な事実にすぎないのだから苦痛によって苦痛という苦しみが作られる事はない。

だから、仮に意識して行為をしていないのに、もしも苦しみが在ったならば我々はとかく他人のせいにしてしまうが、他人の行為によって苦しみが生まれたという事は絶対的にあり得ないであろう。



※苦しみはついつい他人の行為が原因だと考えてしまうが、その行為は現在の瞬間の単純な事実でしかなく苦しみを伴っているわけではない、行為と苦しみは近い関係にあるので他人の行為が苦しみの原因だと錯覚してしまう。

※仮に、自分では苦しみの原因になる様な事は何一つしていないのに、もしも現実に苦しみが在った場合には我々は他人のせいや世の中のせいにしてしまう。しかし他人や世の中がどの様にして苦しみの原因になるようなことをしたのであろうかそのような事は絶対的にあり得ないであろう。やはり苦しみというものは自分が自分の頭で考えて作り出したものであろう。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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