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中論・12-6 他人の行為による苦しみ

第六頌 他人の行為による苦しみ

西嶋先生の訳
自分以外の人によって苦しみが生み出された場合、その自分以外の人とは一体誰のことであろう。

本来苦しみを伴わないことが行為の実行されたときの特徴であるけれども、他人に責任を負わせることによって、事実が誇張され過ぎている。




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他人の行為によって自分の苦しみが生み出されたと思っている場合、ではその他人とはいったい誰の事であろう、明確に誰のせいと言い切る事が出来ない。

本来行為と言うものは苦しみを含んでいる訳ではない、苦しみを含んでいない行為と苦しみを同一ものであるとみるのは、苦しみの責任を他人に押し付けてしまい本当の事を分からなくしてしまっている。

坐禅をしました
他人の行為が原因で自分が苦しんでいると思っている場合がある、もしも他人の行為が原因で自分が苦しんでいるとしたら、その原因を作っている他人とは一体誰なのかと探しても正確に指摘する事が出来ないであろう。

他人の行為がないのに苦しみがあるのは既に他人の行為が終了した状態であるという事であるが、それでも苦しみがあるのは現実には他人の行為は終了しているのに、苦しみの原因をいまだに他人の行為が原因だったとしているためである。



※この世の中の原因結果は複雑に絡み合っていて明確な原因結果を言い切ることは出来ない。一つの原因は無数の結果を生み出し、一つの結果は無数の原因によって生み出されている。只々眼の前の単純な事実を素直に受け入れるしかない。

※行為に依って苦しみが生まれるという考え方は、苦しみと行為は別々のものであるという単純な事実を捻じ曲げているし考え過ぎである。

※他人の行為が既に終了しているのに、記憶によりいつまでも苦しむ事がある。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
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妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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