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中論・11-2頌 比較する見方の否定

第二頌 比較する見方の否定

西嶋先生の訳
この世の中においては、最高と呼ばれるものも最低と呼ばれるものも存在せず、それぞれの中間と呼ばれるものも、何処にも存在する可能性がない。

したがってこの地上の世界においては、事前、事後、その両方の中間という過程が、現実の事態として現われて来るということも決してあり得ない。




中論を勉強しています
この世の中においては最高と呼ばれるものは存在しない、そして最低と呼ばれるものも存在しない、したがって中間と呼ばれるものも当然存在する事はあり得ない。

この世の中においては事前の過程とか事後の過程とか中間の過程というものが、現実の事態として現われて来るということも決してあり得ない。

坐禅をしました
頭で考えれば最高とか最低とかその中間とかと呼ばれるものがあるが、現実のこの世の中においては何処を探してもその様なものは存在する可能性がない。

同じように頭で考えれば事前とか事後とかその中間の過程と呼ばれるものがあるが、現実のこの世の中においては現実の事態としてその様な過程が現われて来るということも決してあり得ない。



※頭で考えれば色々な事物に対して最高とか最低とか中間ぐらい等と考えられるが、それはあくまでも頭で考えた事であり評価や比較であり決して現実ではない。現実においては現在の瞬間の状態そのものが現実であって、最高や最低や中間というものは比較による程度の差にすぎない。最高や最低や中間があると信じてしまうと不満が生じる。

※何かの出来事に対して、頭で考えれば事前、事後、その中間の過程というものが考えられるが、それはあくまでも頭を使って一つの事実を想定したに過ぎない。この世の中は現在の瞬間が次々に移り変わっているのであって、何かの出来事を特定の言葉を使って具体的に表現されるような特異なものではない。事前や事後や中間があると信じてしまうと不安が生じる。

※坐禅をしているとこの世の中は特別の事物もなく特別の瞬間もない只々単純な現在の瞬間の状態が続いていると、言う事に気が付く。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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