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中論・11-1頌 日常生活の浮き沈み

第一頌 日常生活の浮き沈み

西嶋先生の訳
終末がまだ気付かれていなかった以前から、偉大な聖者は語っておられる。

日常生活の浮き沈みは、最高のものに対しても引けを取らないものであり、われわれを縛り付ける手綱のようなものでもないし、後順位に属するものでも決してない。




中論を勉強しています
人生の終末である死期に気付が付く以前から、釈尊は次の言葉を語っていた。

我々の日常生活の浮き沈みは、この世の中における最高のものに対して決して引けを取らないものであり、牛が鼻に輪っかをはめられて引きずり回される手綱のようなものでもないし、われわれの人生において少しも後回しになるものでは決してない。

坐禅をしました
偉大な聖者である釈尊は、自分の人生の最後である死期に気が付き意識する以前から次にあげる言葉を語っておられた。

毎日色々な事がある我々の日常生活は、この世の中において最高の価値があると思われているものに対して決して引けを取るものではないくらい素晴らしいものである。確かに手綱の様なものかもしれないが、決してわれわれを縛り付ける厄介なものではない。そして我々の人生において後回しにいてよいとか大事にしなくても良いとかという問題では決してない。



※毎日坐禅をしていると自分の身の回りの事に興味が出てきて、あまり習慣や思い込みに振り回されなくなる。毎日が次から次へと自分でやるべき事が事現われて来る。「日常生活の浮き沈みは・・・・・。」この言葉こそが仏教思想そのものと思う。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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