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中論・10-11頌 想念としての独自性

第十一頌 想念としての独自性

西嶋先生の訳
われわれが関心を持つことによって具体的なものになることが存在であって、具体的に完成されていないものが関心の対象になるということはまずあり得ないことである。

そこにおいては正に完成されたものといえども、関心の対象になることを気にしていないのである。




中論を勉強しています
存在とは我々が認識したことによって具体的になるものが存在であり、具体的でないものが我々の認識の対象になることはまずあり得ない。

したがって現実は現実そのものであって、現実と言えども何かによって現実が歪められることはない。

坐禅をしました
存在とは我々が関心を持ち認識する事によって具体的になるものが存在である、だから具体的でないものが存在として認識する対象になる事はまずあり得ない。

したがって現実は現実そのものであって、我々の認識や関心に関係なく現実として存在している。



独自性=他とは関係なく自分一人である事

※ 我々は何か現実を考える場合、その現実を抽象的と具体的と二つに分けた依存関係で考える習慣がある。しかし現実の実体は抽象的・具体的の依存関係に縛られてはいない。だから頭で考えた依存関係よりも現実の実体が優先して存在する。





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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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