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中論・10-9頌 現実の火と炎と燃焼

第九頌 現実の火と炎と燃焼

西嶋先生の訳
燃焼とは炎の存在に気付くことであるとしても、むしろ炎を離れた処に、現実の実体がある。

現実の燃焼が現にあるとしても、現に現実の火の存在していない事態も、将来といえども当然あり得る。




中論を勉強しています
燃焼とは炎の存在に気付く事で生まれるものであるとしても、炎は物質的な解釈であって、現実の実体である「火」ではない。

燃焼が現実に目の前に存在しているとしても、将来において目の前の「火」がなくなる事が当然あり得る。

坐禅をしました
頭で考えるならば燃焼とは我々が炎の存在に気付く事であるが、現実の実体である「火(灯火)」は具体的概念の炎とか抽象的概念の燃焼という頭で考えたものではなく現実そのものである。

たとえ頭で考えた燃焼が確かに目の前に存在するとしても、やはり現実の「火(灯火)」が将来現実のものとして目の前に存在しないという状態は当然あり得る。



※現実を考えるならば物質的な解釈と精神的な解釈の二つに分かれて解釈する事を認めざるを得ない。




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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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