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中論・10-1頌 火と燃焼と炎と現実

第一頌 火と燃焼と炎と現実

西嶋先生の訳
燃焼と呼ばれるものが具体的には正に炎である場合、それらの燃焼と炎との同一性は、行為と動作との同一性と同じである。

もしも燃焼とは別のものが炎であるとするならば、炎も燃焼を離れて正に適正に存在する筈である。




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我々は時々「火」を燃焼と炎であると区別して考えてしまう、燃焼と炎は現実には本来一つのものであるが、第8章で主張していた「行為と動作は本来一つに重なったものである」という主張と同じである。

もしも燃焼に対して何か別のものが炎であるとするならば、燃焼と炎は現実には本来一つのものであるのであるから、炎も何か別なものが燃焼となって存在する筈である。しかしその様な状態はこの世の中においてはあり得ない。

坐禅をしました
燃焼と呼ばれるものが現実に行われると炎を出して燃え始める、その様な場合この燃焼と炎が一つになって燃えているという事は、火を付けようとする行為と火を付ける動作が一つになっているからである。

もしも燃焼に炎が存在していないとするならば、炎にも燃焼は存在しないのだから正にいつまで経っても何かが燃えるという事はあり得に状態が存在する筈である。



※行いにおいて我々は頭の中で「行為と動作に」分けて考えてしまう習慣がある。それと同じ様に本来一つに重なっている感覚的な刺激である火に対しても「燃焼と炎」等と分けて考えてしまう習慣がある。

※どのような「燃焼と炎」であろうと「燃焼と炎」は本来一つに重なった現実であり、頭でいくら考えてもそれ以外物のは現実ではない。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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