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中論・8-8頌 具体的なものと抽象的なもの

第八頌 具体的なものと抽象的なもの

西嶋先生の訳
抽象的なものが具体的なものによって作られるということは絶対にないし、具体的なものが抽象的なものによって作られるということも絶対にない。

何故かというと、この地上におけるさまざまの悪徳でさえも全て、それを実行する人に依存して正に具体化されているのであるから。




中論を勉強しています
抽象的な事が具体的な事物によって作られるという事は絶対にないし、具体的な事物が抽象的な事によって作られるということも絶対にない。

何故かというと、行いをする人によってこの地上における全てのものが具体化されるのであって、善行のみならずたとえ悪徳と言えども例外ではない。

坐禅をしました
頭の中で色々と考えた抽象的なものと目に見える手に触れる等の具体的なものとは全く別個の存在である。だから抽象的なものが具体的なものによって作られるという事は絶対にない、それと同じ様に具体的なものが抽象的なものによって作られるという事も絶対にない。

何故ならば、この世の中の全てのものは行いを実行する人によって具体的になるのであって、それがこの世の中に於いてふさわしくないものであったとしても、やはり行いを実行する人によって具体的になるのである。だから抽象的なものが具体的なものによって作られるということは絶対にないし、具体的なものが抽象的なものによって作られるということも絶対にない。この世の中の現実は全て実行する人に依存して正に具体化されているのである。



*悪徳=何か行いをするとこの世の中で生じる摩擦=行いをする事自体がこの世の中と何らかの不愉快な状態や摩擦を含んでいる。自由で摩擦のないと言う行いはこの世の中には存在しないのであるから、その悪徳を少しでも少なくするために仏道がありその実践に坐禅がある。

※自分の目の前の事実と自分の頭の中で考えた事とは全く別個のものである。人はよくこの二つをけじめをつけずに混同してしまいやすいが、決してこの二つ考え方を混同してはならない。いくら頭で考えた事でもそれがそのまま目の前の事実になる事はない、また目の前の事実が抽象的なものとして全て理解できるわけではない。




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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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