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中論・8-1頌 行為と動作と現実

第一頌 行為と動作と現実

西嶋先生の訳
現実に在るものが動作であり行為であって、現実に在るものがこの世の中を作り出す訳ではない。

動作は抽象的なものでは絶対にあり得ないし、行為という抽象概念はあくまでも抽象的な世界を追い求めるように宿命付けられている。




中論を勉強しています
現実に存在するものは行いの外見である動作であり行いの抽象的概念である行為である。今現実に存在する動作と行為が改めて新しくこの世の中を作り出す訳ではない。

動作というものは行いの外見であるので抽象的なものでは絶対にあり得ないし、行為というものは行いを抽象的に捉えているので全てを抽象的に捉える様になることは避けられない。

坐禅をしました
現実に存在するのは行いであるがある時は行いの外見である動作であり、ある時は行いの抽象的概念である行為である。既に行いはこの世の中は実在しているのだから、この世の中に実在するものが改めて新しくこの世の中を作り出す事はない。

動作というものは行いの外見であるのから具体的なものである、だから抽象的なものでは絶対にあり得ない。そして行為というものは行いを説明的に示す抽象概念である、だからどうしても具体的なものから離れて自分に都合の良い自分で考えた世界を追い求めてしまいやすい。



*在る=存在する
*有る=所有する
*動作=行いに対する行いの具体性であり外見である
*行為=行いに対して頭で考えた意味づけ・内容(抽象的)である
*行い=動作と行為が一つに重なっている事実

※先生の話
行いを意味の上で見るならば「行為」、行いを物質的な動きという面から見るならば「動作」である。行いは頭で考えれば行為と動作と二つに分かれるが、現実の行いは行為と動作とが全く一つに重なった事実である。



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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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