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中論・第八章 行為と動作との融合に関する検証

第八章 行為と動作との融合に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です。

この第八章から第二十一章までの十四章が、仏教哲学の中心である行為の哲学に関する解説に使われている。一般的に云って仏教哲学の中心は、現実の世界における行為にあると考えることができる。欧米文化の世界においては、人間がものを考える能力を基礎として、この世の中を専ら精神的な世界と考える観念論と、人間がさまざまの外界の世界からの刺激を感受する能力を基礎としてこの世の中を専ら物質的な世界として受け取る唯物論とが、それぞれ膨大な規模と驚異的な精緻さとをもって発達し、現にわれわれは日々その絶大な恩恵を享受しているのであるが、仏教においては、観念論と唯物論とが持つ本質的な一面性に気付き、その是正として物心一如の現実主義を主張した。したがって行為という問題に関しても、観念論者は行為という抽象概念に対する関心が深く、唯物論者は動作という行いの外見を問題にする。しかし本章においては、仏教哲学の中心にある現実の行いに関連して、現実の行いは行為と動作とが別々に存在する理性や感性の世界には存在せず、行為と動作とが一つに重なった現実と呼ばれ、行いと呼ばれるものとして存在することを主張している。

抽象概念 : 行為 
具体概念 : 動作 
現実概念 : 行い




坐禅をしました
我々は現実の世界と現在の瞬間における行いとは別々のものだと考えてしまいやすいが、仏教においては瞬間瞬間における行いそのものと、その行いと同時に実在する客観世界は別々のものではなくたった一つの現実として捉える。したがって現実というものは行いの抽象的な概念である行為ではないし、行いの外見である動作でもない。

我々はなんとなく毎日実行している「行い」を、抽象的に「行為」そして具体的に「動作」と分けて考える事が多い。



※「我々の人生において不幸に出会う事は避けられないものであるけれども、もしも不幸に出会ってしまった時に我々はどの様にすれば宜しいのでしょうか」と先生にお聞きした事があった。
すると先生が「祈ったり拝んだり嘆いたり学問をしても何の解決にもならない。毎日の生活を規則正しく生活する事が悔しさや諦めや苦しさから解放されるただ一つの解決法です」と教えてくれたことを思い出しました。
その時は先生の言っている事が良く分からなかったのですが、その後朝晩毎日坐禅をすればよいのだと言う事に気が付きました。


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プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。68歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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