中論・7-29頌 宇宙の現象と自己管理の状態

第二十九頌 宇宙の現象と自己管理の状態

西嶋先生の訳
全ての均衡した境地における最高の境地が現われていない場合には、

全ての均衡した境地における最高の自己管理も、現われてこない。




中論を勉強しています
全ての拘りのない状態において、いまだに最高の境地が具体化されていない場合には

全ての拘りのない状態における最高の自己管理も同じように具体化しない。

坐禅をしました
この世の中は様々の要素を含んだ拘りのないありのままの単純な世界であるのに、いまだに現実が具体的なものとして実感できていない場合には、

様々の要素を含んでいて拘りのないありのままの単純な世界であるこの世の中において、自分で自分を好きな様に管理する状態もこの世の中に現われて来ることはない。



我々が生きているこの現実の世の中は我々の目の前にある単純な事実である。その世の中の移ろいは何か特別のものが生まれている様に感じる事があるかもしれないが、それは瞬間瞬間に少しずつ移り変わる単純な事実でしかない。
それと同じように、この世の中は我々の眼の前にある単純な事実であるから自分で考える理想の世界も現われて来ない。

*均衡した境地=こだわりのない境地



中論・7-28頌 具体的な事実や抽象的な想念と自己管理

第二十八頌 具体的な事実や抽象的な想念と自己管理 

西嶋先生の訳
具体的な事実に依存した場合でも、環境に依存した場合でも、現実の事態が、改めて自己管理された状態になるということはあり得ないのであるから、

具体的な事実以外の抽象的な想念に依存した場合でも、環境に依存した場合でも、具体的な事実以外の抽象的な想念が、改めて自己管理された状態になるということは、絶対にあり得ない。




中論を勉強しています
たとえ、眼の前に見えている状況に依ろうとも、また我々を取り巻く環境に依ろうとも、現実の事態が今さら新たな自己管理された状態になるということはあり得ない。

だから、頭で考えた抽象的な想念に依ろうとも、また我々を取り巻く環境に依ろうとも、頭で考えた事が今さら新たな自己管理された状態になるということは絶対にあり得ない。

坐禅をしました
眼の前に見えている状況そのもの、または我々の周りを取り巻く環境そのものによって現実は存在しているのであるが、その現実の事態は今ある自分自身を何処かにやってしまい、新しい自分を何処かからやって来させるという事はあり得ない。

だから眼の前に見えている状況とは別の世界、または我々の周りを取り巻く環境そのものによって現実が仮に存在していたとしても、その別の世界が今ある自分自身を何処かにやってしまい、新しい自分を何処かからやって来させるという事は絶対にあり得ない。



※ どんな状況であろうと、どんな環境であろうと、その現実の中の自分が自分でありそれ以外の自分は存在しない。だから今と違う状況になったとしても、たとえ今と違う環境になったとしても、自分は自分であり決して自分とは異なる自分になる事は絶対にあり得ない。

※ 我々は現実に眼の前に見えている状況の中で生きているのであるし、我々を取り巻く環境の中で生きているのである。この現実の中で生きている我々が何処かに行ってしまい、そして何処かから戻ってきて新しい自分になる事などはあり得ない。
そして現実が変わったとしても、その変わった現実を素直に受け入れる自分があらねばならない。



中論・7-27頌 さまざまの状態と自己管理

第二十七頌 さまざまの状態と自己管理

西嶋先生の訳
存在が固定化していればいる程、自己管理の状態は現われて来にくいものである。

存在が固定化していない場合には、やはり自己管理された状態が姿を現わし易いものである。




中論を勉強しています
存在というものが決められてしまえばしまうほど、自分で決められる状態は現われて来にくいものである。

存在というものが決められていなければいないほど、自分で決められる状態が姿を現わし易いものである。

坐禅をしました
何の変化もない自由にならない状況であればある程、我々はその状況に拘り自分で自分のする事を自由に決められなくなるものである。

逆に何も止めるものがない状況では、我々は何の拘りもなくなり自分で自分のする事を自由に決めやすくなるものである。



*人は具体的状況に固まってしまうとパニックになり、自分で何をすればよいのかわからなくなる。しかし坐禅をしていると自律神経がバランスしているので、自分を自分の好きな様に使いこなす状態でいられる。

*物事に対して固定観念に縛られると自由に生きる事が難しくなる。しかし坐禅をすると自律神経がバランスするので、何にも捉われない柔軟心を持つ状態になり、ありのままに物事を見て自分の思うような行動が出来る様になる。



中論・7-26頌 管理された状態の独自性

第二十六頌 管理された状態の独自性

西嶋先生の訳
管理されていないものが管理されているということはないし、管理されているものでさえも(更に)管理されるということがない。

そこにおいては、管理されている状態が既にあるだけのことであって、まだ生まれていないものが管理されるというようなことがどうしてあり得よう。




中論を勉強しています
隠されていないものが隠されているという事は当然あり得ない。もしも隠されているものがあったとしてもそれ以上に隠される事などあり得ない。

隠されている状態というものは、隠されている状況がもう既に存在しているという単純な事実があるだけの事であり、まだ到来してもいない将来のものが隠されるという様な事がどうしてあり得よう。

坐禅をしました
ありのままのものが隠されている事はない、ありのままのものがありのままに見えるのは当然である。ありのままでないものであっても目の前に見えているものを素直に受け取ればそれ以上に管理されることはない。

もしもありのままでないと言うならば既にありのままでないというだけの事である。しかしまだ到来もしていない将来の事までもがありのままでないという事がどうしてあり得よう。



*この世の中は現実によって管理されている様に思えるが、現実は何も隠しているものがない。だから我々は現実をありのままに観てありのままに受け入れるべきである。

*ありのままというものはそこに何か隠れていわけではない。隠されているものは隠されているという状態がありのままの状態であるのに、その裏には何か特別なものが隠れているのではないかと客観的な根拠も持たずに「何かある」と頭で考え、「何かある」と拘ったり協調する事があるとするならばそれは錯覚であり注意しなければならない。ありのままでないという事はただ単純にその様な状態であるだけの事であり、この世の中にまだ現われていないものまでもがありのままでないという事がどうしてあり得よう。






中論・7-25頌 安定した状態と霊魂

第二十五頌 安定した状態と霊魂

西嶋先生の訳
安定した状態に頼ろうと、それ以外の状態に頼ろうと、本当の意味での安定は、この世の中のどのような状態によっても管理されるということが絶対にない。

そのような状況の中においては、本当の意味での現象が、主観的な霊魂に根拠を置いているということもないし、客観的な霊魂に根拠を置いているということも絶対にない。




中論を勉強しています
本当の意味での変わらないものは、変わらないと思っているものに頼ろうとそれ以外のものに頼ろうと、この世の中に存在するどのような状態であろうとも任せられるものは絶対にない。

その様な状況であるから、本当の意味でのこの世の中の現象は頭で考えた思い込みで決まる訳ではないし、自分では考える事のない習慣などによって決まるという事も絶対にない。

坐禅をしました
本当の意味での変わらないというものは、変わらないと思っているものに頼ろうとそれ以外の何か頼りになると思っているものに頼ろうと、この世の中に存在する事はない。絶えず変化するこの世の中においてどのような状態であろうともはこの世の中の一切のものを留めておくことは絶対に出来ない。

絶えず変化するこの世の中において、本当の意味での現象つまり現在の瞬間における実情が次々とそして少しづつ変化している現象が、自分で考えた考え方に基ずいている訳ではないし、誰かが考えた考え方に基ずいているということも絶対にない。



*この世の中で変わらないものは何処にもないのだから、たとえ自分自身の実態をありのままに認める事が出来る様になったとしても、それはその瞬間の状態であってその状態がいつまでも続くわけではない。だから自分自身の実態をありのままに認められたからといって、それで仏道が「はい一兆上がり」になるのではない更に仏向上の仏道は続いていく。

*留まることなく変化して行くこの世の中において我々の目の前に広がる現象は、自分の思い込みや具体的な習慣によって左右される事などあり得ないありのままの世界である。




プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
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妻と2人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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