中論・7-25頌 安定した状態と霊魂

第二十五頌 安定した状態と霊魂

西嶋先生の訳
安定した状態に頼ろうと、それ以外の状態に頼ろうと、本当の意味での安定は、この世の中のどのような状態によっても管理されるということが絶対にない。

そのような状況の中においては、本当の意味での現象が、主観的な霊魂に根拠を置いているということもないし、客観的な霊魂に根拠を置いているということも絶対にない。




中論を勉強しています
本当の意味での変わらないものは、変わらないと思っているものに頼ろうとそれ以外のものに頼ろうと、この世の中に存在するどのような状態であろうとも任せられるものは絶対にない。

その様な状況であるから、本当の意味でのこの世の中の現象は頭で考えた思い込みで決まる訳ではないし、自分では考える事のない習慣などによって決まるという事も絶対にない。

坐禅をしました
本当の意味での変わらないというものは、変わらないと思っているものに頼ろうとそれ以外の何か頼りになると思っているものに頼ろうと、この世の中に存在する事はない。絶えず変化するこの世の中においてどのような状態であろうともはこの世の中の一切のものを留めておくことは絶対に出来ない。

絶えず変化するこの世の中において、本当の意味での現象つまり現在の瞬間における実情が次々とそして少しづつ変化している現象が、自分で考えた考え方に基ずいている訳ではないし、誰かが考えた考え方に基ずいているということも絶対にない。



*この世の中で変わらないものは何処にもないのだから、たとえ自分自身の実態をありのままに認める事が出来る様になったとしても、それはその瞬間の状態であってその状態がいつまでも続くわけではない。だから自分自身の実態をありのままに認められたからといって、それで仏道が「はい一兆上がり」になるのではない更に仏向上の仏道は続いていく。

*留まることなく変化して行くこの世の中において我々の目の前に広がる現象は、自分の思い込みや具体的な習慣によって左右される事などあり得ないありのままの世界である。



中論・7-24頌 老化や死滅と安定した状態

第二十四頌 老化や死滅と安定した状態

西嶋先生の訳
老化や死滅を含む宇宙のさまざまの事物の中において、(または)すべての存在や一切の時点において、

それらのさまざまの存在は、老化や死滅なしにはほんの僅かのものといえども、安定しているということがあり得ない。




中論を勉強しています
老化や死滅を当然の事として備えているこの世の中に存在する様々の事物において、またはすべての空間において、そして一切の時間において、

それら様々の存在と言われているものは、老化や死滅なしに一瞬たりとも実在することなどあり得ない。

坐禅をしました
この世の中の様々の事物は老化や死滅が当然の事として備わっている、またはすべての存在においてそしてどんな時でも老化や死滅が当然の事として備わっている、

それら様々の存在と言われているものは老化や死滅なしに存在する事はあり得ないし、一瞬たりともそしてほんの僅かなものといえども永遠なものが存在する事などあり得ない。



*老化や死滅は我々が生きる現実世界の一切の実在するものの中に常に(何時でも何処でも)存在する。老化や死滅を常に備えていないものは決してこの世の中に実在しない、実在している様に見えるものは頭で考えた空想である。



中論・7-23頌 自己管理された状態と現実の存在

第二十三頌 自己管理された状態と現実の存在

西嶋先生の訳
安定した状態は自己管理された状況の中に存在しているのであって、存在(という抽象概念)の中に現われて来る訳ではない。

安定した状態が正に自己管理されていない状況の中にある場合には、そのような存在は決して現われて来る筈がない。




中論を勉強しています
自己管理された状況の中において安定した状態は存在しているのであって、頭で考える抽象的な存在というものの中に安定した状態は現われて来る訳ではない。

自己管理されていない状況の中においてもしも安定した状態が存在したとしても、その様な存在が具体的な存在として姿を現して来る筈がない。

坐禅をしました
永遠なものとは自分が考えて出して存在しているのであって、永遠なものが存在するという考えによって永遠なものが現実に現われて来る訳ではない。

永遠なものというものを自分で考えださなくても現実に存在している様に見えたとしても、それは錯覚でありやはり永遠なものというものは決して現われて来る筈がない。



※自己管理=自分で自分の思うように管理する。
※安定した状態=変わらないもの。永遠なもの

*我々の住むこの世の中に変化しないものなどどこにもない、変化しない存在というものや永遠なものなどを自分で好きな様に考えればこの世の中に存在している様に見えるが、現実においてはそれは錯覚であり思い込みである。変化しない存在というものや永遠なるものなどは何処にも将来にも決して存在することはない。

*例えば:
我々の住むこの世の中をカメラで撮影するとその瞬間の写真は安定していて不変であり永遠であるが次の瞬間にはこの世の中は少し変化をする、少し変化をした次の瞬間も写真撮影をするとその写真は安定していて不変であり永遠である。更に次々と続く瞬間の写真は少しづつ変化をしていくが、そこにおける写真そのものは安定していて不変であり永遠である。
だから瞬間そのものは安定していて不変であり永遠ではあるが、瞬間瞬間が続くこの世の中は絶える事なく変化し続けるので、決してこの世の中は安定していて不変であり永遠である事は出来ない。


中論・7-22頌 安定した状態と存在

第二十二頌 安定した状態と存在

西嶋先生の訳
安定していないものが、存在(という抽象概念)として存在するということはあり得ないし、既に安定している存在が、更に改めて安定するということもない。

現に安定している状態が更に改めて安定するということはないのであるから、現に姿を見せていないものが、更に改めて安定するということも絶対にあり得ない。




中論を勉強しています
立ち止まらないものが、一定の状態を保たまま存在という形で存在することはあり得ないし、既に立ち止まった状態にあるものが今後も更に立ち止まり続けるという事などあり得ない。

今存在して立ち止まった状態にあるものが今後も更に立ち止まり続けるという事などあり得ないのであるから、まだ現実としてこの世の中に現われて来ていないものが立ち止まった状態になる事などは絶対にあり得ない。

坐禅をしました
いつまでも続かないものが、いつまでも続く存在として存在することはあり得ない、また今存在しているものが今後も同じ様に存在し続ける事などあり得ない。

そして、今存在しているものが今後も同じ様に存在し続ける事などあり得ないのだから、まだこの世の中に現われていないものがいつまでも続く存在として存在することも絶対にあり得ない。



※安定している=変化をしない。留まっている。立ち止まっている。永遠である。
※存在(という抽象概念)=存在という考え方

*安定していないという事は立ち止まらい、停止しない、変化しているという事であるから、頭で考える存在というものは立ち止まるし停止しているし変化しないという事である。しかし現実の存在は現在の瞬間の存在そのものであり、その存在は立ち止まらい、停止しない、変化しているという事である。
我々の住むこの客観世界の現状を眺めてみると少しずつ変化し続ける世界であるから、まだ存在していないものが立ち止まる、停止する、変化しない等ということは絶対にあり得ない。

*我々が住む客観世界は一見するといつまでも変わらずいつまでも続くような印象を受けるが、現実はそうではなく一切のものが必ず少しづつ変化していて完全に止まっているものは何処にも存在しない。




中論・7-21頌 自己管理と現実の世界

第二十一頌 自己管理と現実の世界

西嶋先生の訳
自己管理された状況の中で現われて来る現実の実状は、存在(という抽象概念)の中に現われて来るということがない。

その実状が正に自己管理されていない状況の場合には、現実の存在の現われて来る筈がない。




中論を勉強しています
自己管理された状態において隠れている何かが現われて来る現実の状態は、存在という抽象概念の中に現われる事はない。

自己管理された状態でない場合には隠れている何かが現われて来る訳ではないので、新しく現実の存在というものが現われて来る筈がない。

坐禅をしました
自分が自分で自分を思うように操れる状態において隠れている何かが現われて来るという現実の現象は、存在(という抽象概念)の中に隠れていた何かが現われて来る訳ではない。何かが現われて来る現象は現在の瞬間瞬間の少しづつの変化であって我々の眼には何か隠れていたものが現われて来て、その少しづつの変化が存在(という抽象概念)の中に現われたような錯覚を起こすからである。

自分が自分で自分を思うように操れる状態でない状況においては隠れているものなど何もなく既に全てが目の前に存在している場合には、新たな何かが生まれ新たな現実の存在が現われて来る筈がない。



※自己管理=自分が自分で自分を思うように操れる事

*心静かにありのままに周りを見回してみると今まで気付かなかったものが見えた来る、その様な状態は存在しているとか存在しているとかと頭で考える問題ではない。
また今目の前に存在しているものが、新しい存在として現われて来ることはない。目の前にあるものは目の前にあるものである。

*客観的な世界は現在の瞬間の世界しかない、何かが生まれたり消えたりする現象も現在の瞬間の少しづつの変化にしか過ぎない。だから存在(という抽象概念)の中に現われて来るということがない。





プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

最新記事

日本語→英語自動翻訳【星条旗】