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中論・16-7頌 束縛とその離脱

第七頌 束縛とその離脱

西嶋先生の訳
事態が、束縛される以前から存在している場合には、束縛された状態を自由自在に離れることができる。

それ以外の事実は全く実在する筈がないという論証は、(第二章で述べたように)「行きつつある」「行った」「まだ行っていない」(というような頭の中における認識と現実の行いとの間の次元的な相違)によって説明することができる。



中論を勉強しています
事態というものは本来拘束が始まる以前においては自由自在の存在である、だから事態というものは拘束された状態から自由自在に離れる事が出来る筈である。

もしもその様な事はあり得ないと言うのであれば、本当に自由自在に離れる事が出来る事を(第二章で述べたように)「行きつつある」「行った」「まだ行っていない」の理論によって説明することができる。

坐禅をしました
事態というものは、持って生まれた束縛からは解放される事はないが、もしもまだ束縛されていない事態が後に束縛されたとするならば、この束縛からは自分の思い通りに解放される事が出来る。

もしもその様な事はあり得ないと言うのであれば、本当に自由自在に離れる事が出来る事を第二章の理論(頭の中における認識と現実の行いとは同じではない)によって検証することにより、束縛が自分の頭の中で考え出した錯覚であると気が付くであろう。



※この第七頌はかなり難解であった。

※拘束から自由でありたいと努力する事そのものも拘束されていると言えるが、拘束されて以前は当然拘束されている訳ではない。そうすると本当に拘束というものが存在するのであろうかと疑問が生まれる。

※行いというものを考える事と現実に行いをする事は全く別のものである。だからどの様に行いが拘束されていると考えたとしても、現実の行いは現在に瞬間において何にも拘束される事はなく自由自在である。

※我々は生まれながらに色々な束縛を受けて生まれてくるが、それは決して不幸な事ではない。その束縛の中において一所懸命に行いをする生き方をすれば、頭で考えて束縛と思い込んでいるこ事から自由自在に解放される。だから私は坐禅を勧める。




中論・16-6頌 束縛の実感と拘束の状態

第六頌 束縛の実感と拘束の状態

西嶋先生の訳
眼の前の現象が拘束されているように見える場合でも、現実の現象が拘束されているということはない。

現象とは別のものに関連しても、それが拘束されているということはないのであるから、この世の中の恒常性が拘束されているというようなことも、どうしてあり得よう。




中論を勉強しています
もしも我々の行為が拘束されているように見えたとしても、現実においては我々の行為が拘束されている事はない。

我々の行為と関係がないものにおいても、拘束されている事はないのであるから、どうして変わる事のない現実が拘束されることがあり得るのであろう。

坐禅をしました
もしも拘束というものが我々の積極的な行為によるものとするならば、積極的な行為が現実の行為を拘束している訳ではない。

現実の行為が拘束されている様に見えても我々の行為が消極的だからという理由ではない、どうして変わる事のない現実が拘束されることがあり得るのであろう。



積極的な行為=能動的な行い
消極的な行為=受動的に具体的な行いをしない事

※我々の日常生活は色々と束縛されているように見える場合がある、しかし束縛されているという内容は考え方であり、現実における行為そのものは何かに拘束されている訳ではない。

※現実における行為そのものが何かに拘束されているという事は何の行為もしていないという事ではない。どうしてありのままの現状がこれ以上拘束されるという事があるのだろうか。

※この世の中は頭で考える様な縛られた世界ではない、我々は現在の瞬間において何をするのかという選択の自由が与えられている。そして我々はその選択に従い、その選択に責任をもって毎日を生きている。



中論・16-5頌 宇宙の秩序と行いの自由自在

第五頌 宇宙の秩序と行いの自由自在

西嶋先生の訳

現われては消え現われては消えしている宇宙の秩序は、拘束されているものでもなければ、解放されているものでもない。

現実におけるさまざまの行いも、したがって現実そのものも、拘束されているものでもなければ、解放されているものでもない。




中論を勉強しています
次々と生まれては消え生まれては消えるこの世の中の現状は、何かに拘束されている訳ではないし、何かから解放されているものでもない。

様々の現実の行いも、生まれては消え生まれては消える存在であり、何かに拘束されている訳ではないし、何かから解放されているものでもない。

坐禅をしました
この世の中は何かによって拘束されている訳ではないし、無秩序に解放されているている訳でもない。その様な我々が住むこの世界は次々と生まれては消え生まれては消える世界でもある。

また行いにおいてはやはり次々と生まれては消え生まれては消える存在であるが、考えようによっては束縛はされている、解放はされているとも言える。



※我々が生きるこの世の中は生まれては消え生まれては消える実体である。その実体が何かによって縛られている訳ではないし解放されている訳でもない。少し考えてみると我々は自由自在に生きる事が出来ると考えるが、現実においては色々な環境条件で拘束されてもいる。だからと言って環境条件でがんじがらめに拘束されているかというと、自分の意志でその気になれば色々と自分で決められて解放されているというのが現状である。だからこの世の中の実体が拘束されているとか解放されていると言う事は錯覚であり、同じようにこの世の中の実体が拘束されていないとか解放されていないという事も錯覚である。我々は拘束と解放の両方の要素を兼ね備わった現実の中を瞬間瞬間生きているのが現状である。その現状を体験する簡単な方法が坐禅です。

※観念論的にこの世の中を見てみれば、頭で色々と自由に考える事が出来るので解放されていると言える、ただ考え方を突き詰めていくと段々と理想的な事を求める様になる、そうなると自分で考えた事に拘束されているといえる。そのためにこの世の中に対して不満な状態になってしまう。また唯物論的にこの世の中を見てみると、全てを原因と結果で考えるために拘束されていると言える、ただ唯物論には明確な基準というものがないから常に揺れ動いているので解放されていると言える、そのためにこの世に対して不安な状態になってしまう。



中論・16-4頌 均衡した状態の欠除と不可解なものの出現

第四頌 均衡した状態の欠除と不可解なものの出現

西嶋先生の訳
さまざまの現実の行いの中には、自由で静かな境地は見られないというようなことが、一体何処に起るということがあり得よう。

自由で静かな境地は、現実の事態の中には見当たらないというような事実が、一体何処に起り得よう。




中論を勉強しています
様々の現実の行いにおいて、自由で静かな境地(ニルヴァーナ=涅槃)が現われないと言われるがそれは事実ではない。

諸々の現実の存在もまた、自由で静かな境地(ニルヴァーナ=涅槃)が現われないと言われるがそれもまた事実ではない。

坐禅をしました
我々の日常生活において、自由で静かな境地(ニルヴァーナ=涅槃)がないという考え方があるが、その様な考え方は間違いである。

自由で静かな境地(ニルヴァーナ=涅槃)は我々が生きている現実の中に見当たらないという考え方もあるが、この様な考え方も間違いである。



自由で静かな境地=ニルヴァーナ=涅槃・・・・日常生活の浮き沈み(流転)の中にある。

※一所懸命に探し回らなくても、もう既に我々の日常生活の中にニルヴァーナは存在している。例えば坐禅をしている状態は自律神経がバランスした状態であり自由で静かな境地(ニルヴァーナ)である。

※日常生活を一所懸命に生きる中に自由で静かな境地(ニルヴァーナ)そのものがある。どの様な日常生活であろうとも全てにおいて自律神経がバランスしていれば我々の人生はニルヴァーナである。瞑想では決してニルヴァーナにはなれない、何故ならば心身一如の状態ではないからである。



中論・16-3頌 感受作用と流転

第三頌 感受作用と流転

西嶋先生の訳
感受作用が本来の感受作用の状態から逸脱している場合には、至る処に流転を作り出す可能性があり得る。

至る処で感受作用が制御されておりさえするならば、現実的な何かが何かを流転させるということが、将来といえども何処に起こるということがあり得よう。




中論を勉強しています
我々の感受作用が正常に働いていない場合には、流転が至る処に存在する様になってしまう可能性があり得る。

しかし感受作用が正常に働いている場合には、現実的に何かが何かを流転させるという事が起こる事はない。

坐禅をしました
自分の事なのに他人事の様にしていると、本来の自分ではいられなくなり至る所に人生の苦しみが存在する様になるだろう。

何処にでも存在があるそして存在を感じる働きがない場合には、存在とはどの様なものであろうか、また存在というものがどの様に流転するのであろうか。



※この頌はupādānādの解釈が難しくもう一度勉強しなければならない。



プロフィール

悠村隆道

Author:悠村隆道
ご訪問ありがとうございます。
妻と2人暮らし。69歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より平成15年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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